訃報
「ツアー・オブ・ジャパン」に選手・監督として出場経験のある、元「愛三工業レーシングチーム」の田中光輝さん(享年46歳)が、平成30年8月5日に、長い闘病生活を送られていた病院で逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。
田中さんは、名門「岐阜県立岐南工業高等学校」を卒業後、「愛三工業レーシングチーム」に加入、1992年には20歳という若さで「全日本選手権(アマチュア)ロードレース」で優勝を飾り、同年に開催された「バルセロナオリンピック」に日本代表として出場したエリート選手でした。
私自身、田中さんとは同い年だったこともあり、キャリア前半に大きな成績を挙げた田中さんをとても意識しつつ、その大きな背中を追いながらレース活動を続けていきました。
一方、私が30歳で監督に転身したのに対して、田中さんは35歳まで選手を続けてその後監督に転身したので、監督業ではある意味で私が先輩となったので、監督転身後に少し弱気になることもあった田中さんと「監督業の苦労話」などを遠征中に共有することもありました。
レース中の攻撃的な走りとは裏腹に、オフの田中さんはとても優しい雰囲気と共にユーモアに溢れたナイスガイであり、チームの垣根を超えて多くの関係者から慕われる人気者でもありました。
当ブログに掲載した写真は、2004年の「ツアー・オブ・ジャパン 茂木ステージ」で集団の先頭をひく田中さんの勇姿です。
奈良ステージで優勝を飾ってリーダージャージを獲得したチームメイトの別府匠選手(現愛三工業レーシングチーム監督)を守るために集団コントロールする姿からは、田中さんのその献身的な性格がよく伝わってきます。
まだチームプレーというものが日本のレース界に定着していない時代から、自らの成績を犠牲にしてチームのために走る田中さんの姿をよく目にしました。
長期間に亘る闘病生活を送った田中さん、もう十分過ぎるほどにがんばったと思います…。
どうか安らかにお眠りください。