定型文と選手の素顔
現在、フランスで開催中の「第110回 ツール・ド・フランス」は、ちょうど折り返しを過ぎ、総合優勝候補の2強と目されているJヴィンゲゴー(総合1位)とTポガチャル(総合2位)の総合タイム差は17秒と拮抗しており、後半戦に向けてわくわくの展開が続いております。
そんな中、この2週間弱の期間にわたって、現地からはいろいろな形で様々な情報が我々のもとに伝わってきています。
特に現代はインターネット(SNS)の発達により、選手やチーム関係者などがダイレクトに情報発信できる状態にあり、情報の伝達スピードは早く、量も膨大で、むしろ受け手の情報処理能力が試されている様な状況が構築されています。
一方、発信される膨大な情報の内容(質)というのは、どの様に変化してきているのでしょうか。あくまで主観なのですが、現代の発信内容や発信者を取り巻く環境というのを簡単にまとめてみました。
◯メディアトレーニングの影響で選手の発する言葉や表現が均一化されつつある。
◯社会全体では多様性が求められている一方で、発信内容の多様性は大きな圧力を受ける状況になりつつある。
◯ネットリテラシーの向上によって、自分の気持ちや考えを正確に伝えることよりも、ネット上(大衆)のリアクションを予想してより有利な方向へと制御することが重要視されつつある。
◯ある側面に於いては選手の素顔が見えやすくなっている一方で、インターネットが選手の個性を均一化させる圧力を発生させている。
◯均一化という全体的な方向性を逆手にとる形で、炎上商法という逆張り戦術を用いる者が一定数発生している。
上記傾向を書いていて感じたのは、どちらにしても、人間の素の感情は見えづらくなってきているのかなということです…。
「昔はよかった」といったおじさん発言をしたいわけではありません。昔よりも今の方がずっと良い環境だとは思っています。
しかし、情報発信とは、もはや「意思」ではなく「ルーティンワーク」であり「定型文」になっているのだと感じました。
「善人の定型文」、「悪役の定型文」、発信者も受け手も無意識のうちにおおよその「定型文」のなかで「ルーティンワーク」をこなしている感じです。
「こういうことが起こったらこの様な発信をする」
「ああいうことが起こったらあの様な発信をする」
個人的には「人間観察が趣味(常に人間の本音を探ろうとしている)」なので、今後も「定型分」の裏に隠された選手たちの本音にフォーカスしていきたいと思います。