木を見て森を見ず
「木を見て森を見ず」という言葉があります。
ネットで調べるといろいろな意味で使われている様ですが、今回は以下の意味で解釈してみようと思います。
「一本の木しか意識して見ていないために、森全体がどのようになっているかがわからない状況から、物事の細かい部分や目先のことだけに気を取られて全体を見失う」
わざと「一本の木しか見ようとしていない」のか、そもそも「一本の木しかみれない」のかは、人それぞれで違ったりするのでしょうか。
ちなみにこの記事は自責の念を込めて書いています。
今更ですが、50年生きてきて改めてわかったことがあります。
それは、物事を見るときの「時間軸」と「範囲」というのは、ひとそれぞれで違うということです。
どちらかが正しくてどちらかが間違っているという話しではありません。人間社会は「多様性」が重要であり、恐らく人間社会全体の調和を保つためには、究極的には全ての存在が必要になってきます。
一般的に「普段から数年単位の時間軸で物事を考えているひと」というのは少数派だと思います。更に「物事の裏側にある事情や経緯まで勘案して思考しているひと」となるとかなり希少な人材になるでしょう(前者)。
多くのひとが1年以内の時間軸で生きている気がしますし、それこそ「目の前の出来事が自分にとって心地良いかどうか」だけで生きている人は意外と少なくないと思います(後者)。
傾向的に、前者は感謝の気持ちが生じやすく、また、まずは自責思考(自分は間違っていないか、本当は相手が正しいのではないかなど)で物事を捉えることが多いでしょう。
一方、後者は不平不満が生じやすく、また、他責思考(自分はかわいそうで周りが悪い)が強まる様に感じます。
そして、前者は後者を理解できますが、後者は前者を理解できない傾向にあるため、結果的にお互いがストレスを感じることになります(物事が停滞する)。
ちなみに、マネージメント側は前者傾向を持っている必要があり、後者傾向の人材がマネージメントに入ると、遅かれ早かれ問題が発生する可能性が高まります。
一方、慎重な性格の前者が現場に入ってしまうと、頭でっかちになり過ぎて、短期的に現場がまわらなくなる可能性もあります。
全員前者でもダメですし、全員後者ではもっとダメです。
一括りにしてしまって大変申し訳ございませんが、自転車界(の一部)は、傾向的に後者の割合が多いため、中長期的な視点での取り組みが苦手な状況にあるのだと感じています。
割合を変えていくのか、もしくは強い意志を持った前者が全体を変えていくのか。いずれにしても中長期的な視点が重要であることは間違いありません。
※記事の内容と上記写真に関連性はございません