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栗村修のワールドツアーへの道

KURIMURA's Blog

わくわく感とイマジネーション

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「ツアー・オブ・ジャパン」の仕事に就くようになってからというもの、「ツアー・オブ・ジャパン」の各ステージはもとより、国内の様々な自転車ロードレースのコースづくりやコース変更、会場づくり、そして大会の開催全般などに触れてきました。

25年以上に亘って選手・監督として様々なロードレースに出場してきたものの、主催者サイドの仕事に就いてからは、まったく景色が変わってしまったというか、同じレース会場にいるはずなのに、感じる匂いなどが昔と別物になってしまいました。

選手時代というのは、基本的に「わくわく感」の連続だったと記憶しています。

「今度はどんなコースを走れるのかな?」
「このコースは自分向きかもしれない!」
「レース中盤で飛び出してそのまま逃げ切ってみたい」

一方、監督になってからは選手時代ほどの「わくわく感」はなくなってしまうものの、それでも自チームの選手が勝った時などは、それこそカラダ中が「燃え上がるような独特の感覚」を覚えたものです。日常の「わくわく感」は減るものの、勝利の瞬間の喜びはもしかするとスタッフの方が大きいのかもしれません。

一方、レース主催者の仕事に就いてからは、「わくわく感」も、「燃え上がるような喜びの感覚」も、残念ながらすっかりと影を潜めてしまいました…。

但し、選手時代にも監督時代も感じたことのない、とても独特な感情に包まれる瞬間があります。

それは、「新しくレースを創る時の最初のコース視察の時」と、「レースが無事に終わって会場が撤去され誰もいなくなった時」の二つの空間です。

共に誰もいない静かな空間なわけですが、コース視察の時というのは「ここに万単位のひとが集まって熱狂に包まれる光景をみてみたい」と願いながら、選手、チームカー、お客さんがいる別世界を頭のなかで想像するわけです。

この瞬間は少しだけ脳内にわくわく物質が流れ出る気がします。

しかし、経験を積めば積むほどトラブルなどの「現実」を知りはじめ、大会開催が具体化する段階からは不安とプレッシャーとの戦いに身を投じることになってしまいます。

一方、レースが無事に終わったあとの空間というのは、「出場する側」だった頃と、「開催する側」になってからとでその印象が大きく変化しました。

「出場する側」だった頃というのは、会場からひとがいなくなってしまうと強い「寂しさ」を感じたものですが、いまは逆にその瞬間が一番の「安らぎ」を感じる時間に変わりました。

立場が変わると同じ空間でも正反対の印象を受けてしまうというのはとても面白いですね。

但し、やはりどの立場であっても「わくわく感」と「イマジネーション」が枯渇してしまえば、いずれその仕事を続けられなくなってしまうのだと思います。

逆にいえば、質の高い仕事を継続するためにも、「わくわく感」と「イマジネーション」を大切にしていかなければならないということなのかもしれません。

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