物事の本質
2月も中旬に入り、「ツアー・オブ・ジャパン」本番まで残り3ヶ月ちょっととなってきました。
やはりこの時期なってくると、「理由のある焦り」と「理由のない焦り」が濃厚に混ざり合いはじめてきます。
前者の「理由のある焦り」は単純に実務から発生するものであり、「やらなければならない作業量 ↔ 時間」といった、どの仕事をしていても生まれる負荷の一つといえます。
一方で、「理由のない焦り」と表現したものは、「マクロ的な理想は追えているのだろうか」、「水面下で進めているあの件はうまくいくだろうか」、「いまの準備のなかに抜けはないだろうか」、「事故は起こらないだろうか」などなどの、作業量や時間だけでは計れない、自分のコントロール下に置ききれていない「不確定要素」が生み出す負荷の一種という感じす。
もちろん厳密にいえば「理由はある」わけですが、「長期構想」や「リスク」などをすべて「企画書に書いた通りの想定内」といえるほど高い能力があるわけではないので、表面意識上ではやはり「理由のない焦り」として表現するのが妥当となってしまいます。
最近、いろいろな人や団体を観察していて感じることがあります。
「人」と「仕事」と「お金」というのは共通した「美意識」を持っていて、ある一定の人や団体の元へ集まってくるという習性があります。
しかし一方で、「人」と「仕事」と「お金」というのは共通したある種の「毒」も持っているので、何も考えずに全てを受け入れていくと、元々魅力のあった人や団体が混乱しはじめ、時間と共に輝きを失い、最終的には「人」と「仕事」と「お金」が去っていく、という負のサイクルに陥るリスクをはらんでいるようにも感じます。
そういったことに注意を払いつつ、「理由のある焦り」と「理由のない焦り」とうまく距離を保ちながら、本質の「魅力」と「可能性」を示し続けることが重要になってくるのでしょう。
「長期構想」と「短期の実務」は時にお互いのあしを引っ張り合う負の関係に陥りがちやすいように感じます。
私自身の想いと使命は間違いなく「長期の流れを創ること」ですので、誠意を忘れずに長・中・短期の取り組みをバランスよくかつ限界の一歩手前で継続させていきたいと思います。