日本レース界の歴史
2015年に18回目の大会迎えた 『ツアー・オブ・ジャパン』 ですが、前身の 『国際サイクルロードレース』 の歴史を振り返ってみると、最初の大会は実に1982年まで遡ることになります。
当時の国内レース界は、『実業団黄金期』 といってもいい時代で、国内の完成車及び部品メーカーがこぞって社内に 『自転車競技部』 を抱え、実業団レースなどで凌ぎを削っていました。
といっても年間のレース数はそれほど多くなく、主要レースとしては以下に挙げたレースがステイタスの高いレースとして認識されていました。
チャレンジロードレース
東日本実業団ロードレース
西日本実業団ロードレース
国際サイクルロードレース 大阪
国際サイクルロードレース 東京
全日本実業団対抗ロードレース
全日本選手権ロードレース
都道府県対抗ロードレース
国体ロードレース
ちなみに、本格的なステージレースが国内に最初に誕生したのは、1987年に第一回大会が開催された 『ツール・ド・北海道』 からとなります。
(更にもっともっと昔には、国内にも本格的なステージレースが数多く存在してようですが…)
当時の実業団チームは100%社員選手であり、現在のような契約選手は皆無でした。
練習時間なども良くて午後3時からもらえるレベルで、通常は一般の社員と同じ時間働いたあとに、もしくは早朝に起きて練習時間を確保していたと聞きます。
現在では正社員選手はゼロになり、逆に契約選手(実質プロ選手)が殆どとなっています。
本場の外国人選手と競える場も少なく、上記レースでみていくと、それこそ 『国際サイクルロードレース』 のみが、世界と戦える舞台だったようです(当時はアマチュアの各国代表選手)。
国際大会へ出場する機会としては、『アジア選手権ロードレース』、『世界選手権ロードレース(アマチュア)』、『ツール・ド・ラヴニール』 などに日本代表として参加することが主だったところで、現在の様に、海外に長期間滞在してレース活動を行える環境というのはほぼ皆無でした。
その後、1990年にアジアで初めての開催となる 『世界選手権ロードレース』 が宇都宮で開催され、1992年にはそのメモリアル大会として 『ジャパンカップサイクルロードレース』 が誕生します。
更に1996年に 『ツール・ド・おきなわ』 がはじまり、同年に 『国際サイクルロードレース』 が 『ツアー・オブ・ジャパン』 へと名称を変更しました。
1997年には 『ツール・ド・北海道』 が国際大会となり、1999年に現在の 『ツール・ド・熊野』 の前身となる 『3DAYS ROAD 熊野』 が生まれ、現在の 『国内UCIレース=5レース』 という形になりました。
その過程のなかで日本にもプロ選手が生まれ、海外でのレース活動を行うチームや選手なども徐々に増えていきました。
1970年代以前には更に色々な歴史があったようですが、近代の日本レース界は大きくみて上記のような流れで発展してきたといえます。